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2016年11月 5日 (土)

妄想や作り話の仕組み

  車の中で聞いたFMで、「北斗プレミアム 霜降りヒラタケ」なるものの説明をしていた。Yが「私、これずっと前から知っている」と解説をはじめた。認知症の症状の一つ「作り話」だ。

  「わたしはどこにあるのか」という脳科学の本(ガザニカ著)に書いてあったモデルが、Yのいろいろな症状を理解するのに役立っている。

  ガザニアの研究によれば、思考は脳の中で分散処理されている。脳のあちこちに思考センターがあって、個別に思考している。思考の結果が左脳にある「インタープリター」に送られる。「インタープリター」が拾ったものだけが我々の意識に上る。

  「自分」という統合体がある、という感覚はインタープリターが生み出しているものだ。

  五感からの刺激に対して、あちこちの思考センターが一斉に点火し動き始める。「この人は以前会ったことがある」「うれしい」「逃げたい」「ぶん殴りたい」「若い」「太っている」「好感が持てる」「用心した方がよい」「お客様だ」などと。その中から「インタープリター」が、「大事なお客様と再会してうれしかった」という意識を作り出す。それ以外の思考の成果は意識にも上らずに捨てさられる。

  「インタープリター」はうそをついてでも因果化関係を作り出す。「触ってみたら熱かったので慌てて手をひっこめた」という意識は嘘で、「熱い」という情報が脳に到達する前に手は引っ込んでいる。

  物を取ろうと手を伸ばした、とインタープリターにより意識に上るかなり前から、手を伸ばす回路は動いているが、インタープリターに拾われるまでは意識に上らない。自分の知らない無意識下の動きが沢山あるのだ。

  ここからは私の想像だが、変な言動や妄想が生じる原因として下記のようなことがあるのではないか。

1.記憶が歪む。それに基づいた思考も歪む

2.思考回路が歪んで変な成果を生み出す

3.インタープリターが普通は拾い上げない思考成果を拾い上げる

4.インタープリターが変なストーリーを構成する

5.インタープリターがあまりにも変なストーリーを組んだ時に、それを棄却する働きが右脳にあるが、それが働かないで、変なストーリーが意識に上ってしまう。

  Yの初期症状として、「あら、あのビルは最近背が伸びたね」というのがあった。ビルの高さの記憶が歪んで低くなったのだろう。「今は高く見えている」「伸びた」となり、「あの古びた壁を見ると最近伸びたなんてはずはない」とか「ビルが植物のように伸びることはない」「工事も見ていない」という制御は働かなかったのだ。

  インタープリターが作った話は本人とっては「正しい」「事実」になる。それが他者から見たら間違ったものであっても、だ。認知症の人がはた目には変なことを言っていても、それはインタープリターの産物であり、自分は正しい、間違っていない、と思っているのだ。周囲が正そうとすると、当人は正義を捻じ曲げられた気分になるだろう。抗議したくもなるだろう。

  Yに妄想や作り話が出るときにはこう思う。「脳のあちこちで思考センターがまだ活発に活動して話を作り出しているのだ」。「インタープリターが少し弱って、変な話を棄却せずに拾い上げて意識に上らせてしまっただけなのだ」と。

  脳の機能が本当に低下したら、妄想や作り話も出てこなくなるだろう。妄想や作り話はまだ脳が元気に活動している証拠だと思って、歓迎している。

  ところで翻訳本のタイトル「わたしはどこにあるのか」はこういう意味だ。「自分」がどこにあるかと聞かれたら、皆、(心臓ではなく)脳にある、と答えるだろう。では、脳のどの部分にあるのか、と聞かれると答えられなくなる。まさに「どこにあるのか」である。(答えが知りたければ、この本をお読みいただきたい)。

  原著のタイトルは違う。Who's in Charge? だ。「誰を責めるべきか」だ。著者は、意識や思考はすべて、物理的な存在である脳の働きの所産である、という立場だ。裁判で「人」を裁いているつもりでいるが、「人」はいない。それは「脳」という物体が作りだした影だ。脳という物体を罰することにどのような意味があるのか?と問いかけている本なのだ。

(こう問いかけられると、法体系は精神と肉体は別物だという二元論に基づいているように見える。二元論は神とか絶対的真理というものの存在を前提とする方向に向かう。ガザニカは一元論だ)。

 

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