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2017年1月 8日 (日)

ごちそうの取り分け


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  おいしいもの、良いもの、珍しいもの、そういうごちそうをYに出すと、Yの口には入らないことがよくあります。誰かに食べさせたい、と自分の分を取り分けてしまうからです。

  誰のためなのかは本人もよくわかっていません。「あの子たちのために」ということもあり、「えーと何人かな」と指折り数えていることもありますが、その時尋ねても、誰のことをイメージしているのかはわかりません。

  「食べさせたい」というのは、母親や主婦としての心情でしょう。料理を自分では作れなくなった今、自分の分を取り分けることで、その喜びを感じているのだろうと思います。

  私としては、Yに食べてもらいたくて、「(取り分けておいても)今日はもう誰も食べに来ないよ」などと、Yの作業に水を差してしまうのですが、Yの作業をとめる効果はありません。Yが不機嫌になるだけです。

  昨日は、「あの人たちのために」と言ってました。「誰?」と聞くと「お父さんとお母さん」つまり、自分の両親に食べさせたいと取り分けていました。「今日来る予定はないよ」と、また水を差すと、「明日行くときの手土産にするの」と言います。

  私はつい、つまらないことを言ってしまいました。「お父さんもお母さんも亡くなったんだよ」。Yは膨らんでいた親孝行の予定をつぶされて、落ち込んでしまいました。Yのストーリーにのりきれなかった自分の小ささを反省しました。

  気分転換に、車で出かけて、公園を犬と散歩してきました。Yもやや気は晴れたようです。

  取り分けたものはほとんどゴミ箱行きとなります。もったいない話ですが、取り分けると言っても子供の粘土遊びのあとのような状態になる上に、それをティッシュで包んでしまったりするので、なかなか再利用はできません。また、取り分けた状態でしばらく保管するのでその間に傷みもします。ステーキのようなものであれば、取り出して愛犬にやることもあります。(ステーキを食べすぎて愛犬がお腹を壊したこともありました)。結果としてほとんどはゴミ箱域となるわけです。

  しかもいいもの、珍しいもの、おいしいものなどのごちそうにに限ってゴミ箱行きとなるので、私もややストレスは感じます。しかし、Yとしてはそれを自分で食べるよりも、おいしさを分けようと人のために取り分ける方が幸せなのでしょう。そう思ってあきらめています。また、Yが全く食べないわけでもなく、一部食べて、残りを取り分けることもあります。そういう時は私の「勿体ない」気分も少し減るわけです。

 

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