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2017年3月 4日 (土)

うそはついてもいいのです


にほんブログ村  Yに話を合わせるために、嘘もつくこともあります。うしろめたさを覚えます。

  例えば、もう亡くなって5年になるYの妹についてYから聞かれたときに、「元気にしてるよ」と答える場合などがそうです。Yをだましているという、うしろめたさが残ります。
 
  しかし、そのようなウソを積極的に認める本がありました。「認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ」(右馬埜節子)(講談社)です。
 
  著者の右馬埜(うまの)さんは、認知症のひとは「引き算の世界」に住んでいる、と言います。「引き算の世界」とは、健常者の記憶から、いろいろな記憶が抜け落ちた状態です。
 
介護者はその「引き算の世界」に寄り添った対応をしなければならないのです。「健常者の世界」に立って、間違いを指摘したり、あるべき方向へ導こうと説得しても当人を当惑させるだけなのです。
 
  「引き算の世界」に寄り添って話すということは、「引き算の世界」が正しいとして話すことです。健常者の世界にいる介護者にとっては、黒を白というようなウソをつくことになります。しかし、それが必要だ、と右馬埜(うまの)さんはいろいろな事例を示してくれるのです。
 
  会社員時代に、いろいろなもめごとを調停することがありました。話を聞いていくと、もめている両者の持っていた情報の違いや誤解が、もめた原因だったとわかることが多かったものです。つまり、両者の情報空間が違っていたのです。
 
  誰しも、自分の情報空間の中で、正しい結論を出したと思っています。これが正しい、また、人のために良かれ、と思っているのです。悪意で結論を出している人はいません。
 
  でも、情報空間が違えば、出てくる結論も違い、もめごとになるのです。このような場合は、情報空間をすり合わせれば、話は前に進み始めます。
 
  大人と子供の情報空間も違います。子供が間違ったことをしたときは、大人は子供を教え導いて、子供の情報空間を大人の情報空間に育てようとします。
 
  しかし、認知症の人が相手の場合は、相手とこちらの情報空間を合わせることはできません。学習して情報空間を広げる能力はもうないのです。介護者は相手に合わせるしかないのです。そして、それは自分にとってはウソである言葉をかけることによって成り立つのです。
 
  この本を読んで、考えたことによって、「うしろめたさ」を脱することが出来そうです。
 
  著者は単純化して「引き算の世界」と言っていますが、実態は「引き算と、変形の世界」です。残っている記憶が変形していることもあるのです。Yは「駅前のビルは背が伸びたのね」と言っていました。記憶の中のビルの高さが変形して低くなっていたのです」。
 
  それだけではありません。自分の持っている情報(=自分の情報空間)から結論を導くプロセスも病変していることがあります。病変したプロセスで導き出した、変な結論であっても、それは本人にとっては正しくて善意の結論です。介護者はそれに寄り添う必要があるのです。
 
  うしろめたさはなくなったとしても、とっさに相手の世界に合わせた言葉をかけるのは難しいものです。「健常者の世界」が邪魔をします。右馬埜(うまの)さんの本はそういう場合のための言葉かけのノウハウ集としても役に立ちそうです。
 
 
 

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