« 穏やかな日曜日 | トップページ | やっと確定申告を終えました »

2017年3月 6日 (月)

でもね話法


にほんブログ村  昨年9月に書きかけて、下書きのままになっていた記事がありました。

  それを読むと、この半年の間の症状の進行を感じます。
 
  昨年の9月に書きかけていたのはこんな記事でした:
 
  話し方には「でもね」話法と「そうね」話法があります。「そうね」話法は相手の話を「そうだよね」と肯定的に受け止めて、その上にのって話を展開して言う話法です。「でもね」話法は、「でもね」と相手の話を否定して、異論・反論を展開していく話法です。どちらも必要ですが、「そうね」話法を多く用いた方が人間関係はスムーズでしょう。
 
  Yはほとんどの場合、「でもね」話法でした。認知症になって、言葉が不自由になっても、まず、「それは違う」と言いたい。しかし、その理由がうまく言えなくて、支離滅裂の理由をつける、ということがよくありました。
 
  それを見ていて、人間は、まず言いたいことが頭に浮かび、それを表す言葉を探すのだな、と感じました。発想→言語化の2段階があるのだなと感じたのです。
 
  1段目の発想のところは言語を使わずになのかが思い浮かぶ段階です。言語を使わずにどうやって発想を表現するのか不思議ですが、言葉を知らない赤ん坊でも、要求・主張はします。(愛犬のココだって)。脳に何らかのイメージがわくのでしょう。
 
  Yは認知症になっても、まず「でもね」と反論を発想する1段目の枠組みは健在なのだな、と感じたのです。1段目は健在でも次の言語化の段階でつまずいていて、変な「でもね」になっていました。
 
  昨年9月に書きかけていたのは、2段目(言語化)は怪しくなっても、1段目(「でもね」発想)は健在だ、という記事でした。
 
  それから半年たった今、「1段目(「でもね」発想)はまだ健在だ」とはもう言えません。たまにはそれらしい反応がないわけではありませんが、ほとんどの場合は、私の言うことに従順に従い、異議・抵抗の気配がありません。(「でもね」と思っているけど言葉が出ないだけだ、という状況ではなさそうです。)
 
  これも脳機能の低下を意味するのだろう、と、妙に素直になってしまったYに寂しさを思えます。
 
 (注: すべての抵抗がなくなった、という意味ではありません。人の意見に対する抵抗が見えなくなった、という意味です。幼いころからの、「イヤなものはイヤ」、は健在です。デイサービスはイヤ、自宅の風呂はイヤ、です。)
 

« 穏やかな日曜日 | トップページ | やっと確定申告を終えました »

症状・病歴・対応」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 穏やかな日曜日 | トップページ | やっと確定申告を終えました »