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2017年4月26日 (水)

言いたいことが言葉にならない


にほんブログ村  Yは言いたいことがなかなか言葉になりません。

それは、我々もよく経験することです。Yはその度合いが激しいわけです。
 
ところで、この「言いたいこと」はどのような表現形式で頭に浮かぶのでしょうか?
言葉で記述したものではありませんね。それを言葉にしようとして苦労しているわけですから。
 
頭に浮かぶシーンや動画でしょうか。それは私自身にもわかりません。何かイメージのようなものに近い気はしますが。しかし、好き、嫌い、愛情、心配、などの感覚は非言語的・非映像的に脳裏に浮かぶ気もします。
 
頭に浮かぶ、言いたいことやしたいことをここでは「意思」と呼ぶとすれば、「意思」は言葉を話せない赤ん坊やペットの犬にもある気がします。あっちへ行きたい、食べたい、抱いてくれ、などの欲求をはっきり示します。彼らの頭にはどの様な形で「意志」が描かれているのでしょうか。
 
「意思」がど形成されるのかは脳科学でもまだ未解明の問題だと思います。
 
「意思」の一つ前にある「自己意識」もまだ未解明の問題です。
 
「自己意識」は「自分」というものがあるという感覚です。物心ついて以来、ずっと自分というものがあり、「自分」が考え、行動し、人と接し、感情をもている、という感覚です。
 
「自己意識」が脳細胞のネットワークのなかからどうやって浮かび上がるのかは、まだ未解明の問題です。
 
「自分」は体のどこにあるか、と聞かれたら「頭」と答えるでしょう。では脳のどの部位にあるのかと突っ込まれると分からなくなります。脳のこの部位が損壊したら「自分」がなくなる、という部位も判明していないようです。
 
認知症が進んで、かなり脳が委縮しても、「自分」意識は残っているようです。何か、脳の神経ネットワークの全体から浮かび上がるのが、「自分」だという気がします。
 
一元論と二元論があります。
 
まだ未解明だけど、「自分」は脳の神経ネットワークから生まれている、脳が死んだら、「自分」も消える、というのが一元論です。
 
魂と身体は別物だというのが二元論です。死んだら魂は天国に行くというのは二元論です。あるいは、永遠の「何か」(生命の根源、魂、神、・・)があって、それが肉体を借りて一時的に具現化したものが我々であり、肉体が死ねば、魂はまた元の永遠なるものに還っていく、というような考えもあります。
 
どちらを真と考えるかは人それぞれでしょうが、私は一元論の方がすんなり納得できます。
 
Yの話に戻れば、「自分」意識は健在です。Yの「自分」を尊重し、Yが生活の主体者としての感覚を持ち続けられるように接していきたいと思っています。
 
こう言いたい、ああしたいという「意思」の方には少し、乱れを感じます。「意思」は、状況の認識や過去の記憶に基づいて形成されると思います。状況認識や記憶が歪むと、「意思」の方も歪むことになります。
 
「意思」に少しおかしいところがあり、それを言語化する過程にも衰えがある、ということで、Yとのコミュニケーションには、いつも謎解きの要素が絡みます。謎解きを誤れば、Yの「自分」のプライドも傷つけてしまう、というのが難しいところです。
 
 
 
 
 

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